久能山東照宮を水彩で描く

四月下旬、ゴールデンウイーク初めに久能山に急に行きたくなって車を飛ばしました。東名静岡・清水インターより「日本平」「久能山」へ。細道を走りながら、標高216mという小山を見つけ、ほっと一息。イチゴ狩りの店に車を止めて、久能山の急な坂道を登り、描いてきました。
50年に一度、社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われており、2006年に社殿の塗り替えが完了。鮮やかな色が神々しく光っていました。現在も一部塗り替え中。またちょくちょく来てくださいと神主さんが笑顔で答えられました。

石段を少し登った左側にあった建物です。境内までこれから1100段の石段。しかし、登りやすい石段でさわやかな風の中、楽しく登ることができました。


石段の両脇に咲いていたシャガの花です。登るにつれてその数が増えました。ひっそりと木陰に咲き、静かに彩っていました。


楼門(重要文化財)

前面の後水尾天皇による「東照大権現」の 額が掲げてあるので勅額御門ともいわれ
左右に 極彩色の随身を、後面左右に生彩色の狛犬と 獅子がどっかり座っています。午前9時開門ということですが、早めに見学を許可してくれました。


本殿(重要文化財)

江戸時代初期の代表的権現造りで 日光東照宮の先駆をなすもの。グミの実がとても美しい建物の色と同じ色をしているのが印象的でした。

春だというのにもみじが赤く燃えていました。手向けという種類だそうです。

御廟所(重要文化財)

 元和二年(1616)家康は75歳で薨去、遺言により、この地に葬られた。
「みまかりし後は、柩を久能山に納めて神に祀り、葬儀は江戸・増上寺、位牌は三河の大樹寺に・・・。一周忌の後は、日光山に堂を建て我が霊をまねくべし。死して関東の鎮守とならん。」 
 塔は高さ5.5mまわり8mの石造り。参道には諸侯奉納の 石灯篭が並び、 静寂な木々の中、うぐいすの声が聞こえていました。祈らずにはいられない空気が流れていました。


ロープウェイ入り口の近くに咲いていたボタン。日当たりのよい場所に豪華に咲いていました。白い大きなボタンもありましたがあまりの大きさでうなだれていました。


ミニ知識 : 久能山の歴史

 久能山(標高216m)は、元々日本平と共に太古海底の隆起によって出来たもの。長い年月の間に浸食作用等のため堅い部分のみが残り、現在のような孤山になった。推古天皇(592年〜628年)の頃に、久能忠仁が久能寺を建立。奈良時代の修行基を始め、静岡茶の始祖といわれる聖一国師など、多くの名僧が往来し隆盛をきわめ、三百三十坊も築かれた。永禄11年(1568年)、駿府へ進出した武田信玄は、久能寺を清水市(今の鉄舟寺)に移し、この要害の地に久能城を築く。勘助井戸(武田軍の軍師、山本勘助が掘ったとされる井戸)が残っている。しかし、武田氏の滅亡とともに徳川が領有。 徳川家康は、大御所として駿府に在城当時「久能城は駿府城の本丸と思う」と、久能山の重要性を説いたといわれる。死後、その遺言によりここに葬られ、二代将軍秀忠によって社殿が造営。日光東照宮へは、ここから御霊の一部を移したそうです。また、2015年に御鎮座四百年を迎えるため、今後様々な催し物が開催されるそうです。(入り口近くの看板に書かれていた要約の文章です)


久能山で学んだ挨拶の方法

勘助井戸(武田軍の軍師、山本勘助が掘ったとされる井戸)

電彩アート主宰 山田みち子 文と絵